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 歴史と文化
島原城
島原城は寛永元(1624)年、松倉豊後守重政が7年の歳月をかけて
築いたものです。五層天守閣を中核に、大小の櫓を要所に配置した、安
土桃山期の築城様式を取り入れた壮麗な城でした。
それ以来約250年間、4代19氏の居城として、数多くの物語が生ま
れました。しかし、明治の御一新で惜しくも解体されてしまいました。
天守閣をはじめすべての建物をなくした島原城は、城壁だけを残して長
年の風雪に耐えてきました。
島原人の心のよりどころとして「お城」の復活を待ち続けてきましたが、
その熱意が実って昭和35年にまず「西の櫓」が、続いて39年に「天守
閣」を復元することができました。そのとき館内を資料館にして、収集し
た史・資料を「キリシタン史料」「郷土資料」「民俗資料」と各階毎に公
開しています。
その後、47年には「巽の櫓」を復元して、郷土出身者で文化勲章受賞者
である北村西望先生の彫塑を展示した「西望記念館」開館しました。さら
に平成8年には、雲仙普賢岳噴火災害を映像と各種資料で紹介する「観光
復興館」を開きました。
原城跡
明応5年(1496年)、東肥前までも勢力を延ばし当時26万石ともいわれた領主・有馬貴純によって築かれたといわれ、周囲4キロの三方を有明海に囲まれ難攻不落の天然の要害で、本丸・二ノ丸・三ノ丸・天草丸からなり、別名「日暮城」とも呼ばれた美しい城であった。
晴純の代に至り、有馬氏の全盛時代となったが、次第に衰退、義直時代には、佐賀の龍造寺により再三侵略されたが、島津氏の救援で島原沖田畷にて勝利をおさめ、島原半島の南部をかろうじて維持できた。
有馬晴信が慶長17年(1612年)に岡本大八事件に連座し配流・切腹となり、子直純が再度有馬の地をおさめたが、2年後日向に転封となった。
その後、元和2年(1616年)大和五条より松倉重政が入封、一国一城の令によって島原城(森岳城)を築城したので、日之江・原城は廃城となった。
1637(寛永14)年、この廃城となっていた原城に一揆が籠城した。世にいう「島原の乱」である。
昭和13年5月30日、国の史跡文化財に指定。
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 美術と工芸
雲仙ビードロ美術館
19世紀のボヘミアングラスを中心としたヨーロッパのガラスと、300年ぶりに復刻された長崎びーどろを含む日本のガラス約300点を展示
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 自然と科学
かづさイルカウォッチング
300頭の野生のイルカに会える確率99%!長崎県のイルカウォッチング!
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CGI-design